2011年05月31日

ミラート年代記 まとめ

さてはて、ミラート年代記読了。星は4つかな。若干おまけ的な感覚込みですが。ストーリーは面白く、予測困難な展開もあり、謎もある。主人公の設定にはまれば、3巻まで一気に読めると思う。

ただし、SFファン的に読めば、時間の扱いが雑である。ここに綻びがあると面白さが半減する。SF時間ものは、もっと緻密で鮮やかなので、ついつい比較してしまう。

まあ、ファンタジーだから大目に見ればよいのかもしれない。欲を言えば、主人公以外の魅力が今ひとつかも。重なるイメージのキャラクタもいるし、ちょっと影の薄いキャラも。

前にも書いたが、指輪を髣髴とさせる箇所が多々あり。それを楽しめる方は良いが、引っかかる方にはオススメできないのは残念。
posted by 灯台守 at 21:12| Comment(0) | ファンタジー

2011年05月30日

読書時間の確保

「毎日一冊読み切り」が目標というか目安だったりする。でも現実的には、時間が許してくれない。電車通勤をするでもなく、帰宅してから本を読む時間を別枠で取るわけでもない。

通常は、朝、仕事の開始前と昼の休憩時間くらい。だから飛行機の移動時間がある出張中はかなり読書に費やせる時間が取れたりする。

つまり明日からは、読書時間が確保できるという訳だ。または、今日の時間確保がうまくいかなかった言い訳をしているとも言う。(^^;
posted by 灯台守 at 21:28| Comment(0) | あれこれ

2011年05月29日

ミラート年代記 3 シルマオの聖水

ミラート年代記 3 シルマオの聖水 ラルフ・イーザウ・著 あすなろ書房・刊

土曜日に2巻を勢いで、あっというまに読了。あらまあ。なかなか今までのファンタジーに無い主人公の設定で、それを生かした展開は、なかなか読み応えあり。最終的な展開は、指輪の影響を隠しもしないで、繰り広げられ、大団円に。というよりも、続きは3巻へ!! という終り方。

3巻では、1巻/2巻で何度も話題に上った人物が登場し最後は本当の大団円になるらしい?乞うご期待。
posted by 灯台守 at 07:12| Comment(0) | ファンタジー

2011年05月28日

沖縄三大無責任言葉

藤木勇人さんが月に一回、出演されている「沖縄熱中倶楽部」でおっしゃっていたのが
これ。『沖縄三大無責任言葉』だそうです。

なんか、大好きです。

  ・だからよぉ〜(だからさ〜) 
  ・であるわけさぁ〜(そうなんだよねぇ〜)
  ・なんでかねぇ〜(なんでだろうねぇ〜)

で、永遠に責任追求を避けて会話が続くというものです。

例題 その1

息子:おれのTシャツどこなるかしらない?
母 :だからよぉ〜
息子:あ、いま母さんが着てるTシャツ俺の!!
母 :であるわけさぁ〜
息子:なんで、着てるの!!
母 :なんでかねぇ〜

例題 その2

息子:今日のおかず、これだけ?
母 :だからよぉ〜
息子:俺が買ってたハムもないよ。
母 :であるわけさぁ〜
息子:あ、母さんが食べてる肴、俺のハムじゃん!!
母 :なんでかねぇ〜

なんか、時間の流れが変わりますなぁ。
posted by 灯台守 at 07:01| Comment(0) | あれこれ

2011年05月27日

雨ふり花 さいた

「雨ふり花 さいた」 末吉暁子・著 偕成社・刊

絵が「こみね ゆら」さん。非常に抒情あふれるきれいな挿絵である。なんだか、末吉さん特集の一週間かも。この本も、鬼ケ島通信に連載されていた作品。 小学館児童出版文化賞(1999)受賞。

12歳のユカが主人公。座敷わらしとの出会いを軸に、時空を越えたお話が展開する。彼女もまた「赤い髪のユウ」の航と同様、悩みを抱えている。座敷わらしとの出会いをきっかけに悩みながらも、成長していく。

残念ながら、この旅館のモデルとなった緑風荘は2009年10月4日に起きた火事で、全焼した。なお 座敷わらしを祀る中庭の亀麿神社は無事だったとのこと。

ストーリーも、かなり伏線の張られた計算された話で、大人でも十分楽しめる。なにより座敷わらしが魅力的。
東北の人情と、日本ならではの古きよき妖怪にめぐり合いたいなら、おすすめの一冊。
posted by 灯台守 at 21:25| Comment(0) | 児童文学

2011年05月26日

赤い髪のミウ

赤い髪のミウ 末吉暁子・著 講談社・刊

鬼ケ島通信に連載され、一冊にまとめられて出版された本。今年の第58回産経児童出版文化賞フジテレビ賞を受賞されました。めでたいことです。

小学六年生の航が主人公。彼は不登校。たぶん実際に自分の子供が不登校になったら99%の親が「学校に行かせよう」とするでしょう。でも、なぜ学校に行かないといけないのか説明できる親は少ない。よくよく読みかえすと彼の母親は具体的解決策もなく南の島に彼を連れ出しているようにも取れる。自分ではなく、他者にわが子を任せるということは、果たして正しい判断だろうか?

結局のところ、親は万能ではなく、彼は南の島で、あらたな出会いを得る。自ら勝ち得たものだ。それは南の島が彼にもたらしたものかもしれないし、彼自身が成長したからかもしれないし、ミウがくれたものかもしれない。でも彼自身が勝ち得たものであることに変わりはない。ミウもまた、新たな自分自身を得たのだと思う。

不登校となってしまった航や、ハーフであるミウが抱える問題は、他者やお金や政治が解決するものとは思えない。(解決する一助にはなるかもしれないが) 結局のところ、自分自身で問題と相対するしかないのである。最終的には自分自身で立ち向かうしかない問題ではあるが、自分を理解する/理解しようとしてくれる人の存在の大きさもまた、この物語で語られる事でもある。

南の海に、大きな期待を抱くのは無理のないことだ。でも、やさしいだけではない事も事実。この話を読むとその大いなる自然と共に住まう人々のゆるやかな想いが彼らに癒しをあたえているように思うのだった。
posted by 灯台守 at 19:19| Comment(0) | 児童文学

2011年05月25日

もくようびはどこへいくの?

もくようびはどこへいくの? ジャニーン・ブライアン・著 ブン・マイケル キング ・絵 すえよし あきこ・訳 主婦の友社・刊

今日は、おもむきを変えて絵本の紹介。この本、翻訳された末吉先生にいただいたのがきっかけ。たぶん、頂かなければ存在すら知らなかっただろう。

「今日という日がどこにいくのだろう?」という疑問をもったスプーは、もくようびを探しに出かけます。やさしい絵で語られる素朴な疑問。でもその問いかけは深い意味を持っています。海外絵本の質の高さと子供たちへも決してレベルを下げない想いの高さを感じることのできる一冊。
posted by 灯台守 at 23:24| Comment(0) | 児童文学